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座談会

学園通信Vol,25【特集】「遊び」が生きるチカラを育てる《先生座談会全文》

遊びを通して子どもの主体性、」自己表現、思考力、社会性を育む幼稚園教師の視点

今年4月施行の新たな「幼稚園教育要領」(文部科学省)の解説の中で、幼稚園の役割を次のように述べています。「幼稚園では,幼児の自発的な活動としての遊びを十分に確保することが何よりも必要である。それは,遊びにおいて幼児の主体的な力が発揮され,生きる力の基礎ともいうべき生きる喜びを味わうことが大切だからである。幼児は遊びの中で能動的に対象に関わり,自己を表出する。そこから,外の世界に対する好奇心が育まれ,探索し,物事について思考し,知識を蓄えるための基礎が形成される。また,ものや人との関わりにおける自己表出を通して自我を形成するとともに,自分を取り巻く社会への感覚を養う。このようなことが幼稚園教育の広い意味での役割ということができる。」(抜粋)――。日出学園幼稚園では創設以来、「遊びを主体とした保育」を掲げ、実践してきました。先の新教育要領にもありますように、幼児期の「遊び」がいかに重要なのか、それが人格形成の重要な基礎にあたる幼児期になぜ必要なのか。そのことについて、幼児保育の現場で日々子どもたちと向き合っている鍜治園長はじめ6人の幼稚園の先生方による座談会で語っていただきました。特にこの春入園された年少クラスの園児の保護者の方々は、お子さんたちの幼稚園で様子が気になるところだと思います。そうした子どもたちに、保育者たちはどう関わり、支援・補助しながら保育しているのか。ベテラン幼稚園教師の保育への思いを読み取っていただけたらと思います。

日出学園幼稚園は自由保育? 一斉保育

幼稚園の保育の特徴を捉えるキーワードとして、「自由保育」と「一斉保育」という分け方がされますが、日出学園幼稚園は、このカテゴライズからすると、どちらのタイプの幼稚園ということができるのでしょうか?
鍜治園長●一般的なカテゴライズに沿って言えば、日出学園保育園は自由保育ですよね。幼稚園全般において一斉保育だけをやっている幼稚園は少ないのではないでしょうか。要は、保育の時間の中での自由な保育と一斉保育の分量での区分けで、日出学園幼稚園は一斉の時間は少ないほうだと思います。
早川先生●私自身は、以前から「自由保育」「一斉保育」のカテゴライズで幼稚園の保育の特徴を捉えることに違和感を覚えていました。自由保育と謳っていても、教師の関わり方が悪ければただの放任保育になってしまいますし、一斉保育の時間が多くても、先生の子どもたちの関心の引き出し方によっては、子どもたちが自由な発想で主体的に好奇心を持って取り組んだりします。
齋藤先生●私は「自由」と「一斉」は形態の違いであって、一斉でやっても子どもの心が保育者からの押し付けでなけでなく、主体的に楽しみなから遊びや活動をやっているのであるば、それは自由な保育であり、一方で自由な保育だと言われていても、子どもの心が自由でなけれな「自由保育」ではなのではと思います。
例えば、お絵描きの時間の時に「好きな絵を自由に描きなさい」と言っても、子どもがそれを描けない時にはとても苦しいことになってしまいます。そんなとき、「今日はお花を描きましょう」と一斉に課題を与えたほうが、今のその子にとってはのびのびと描けることもあり、自由に書かせるのか、一斉に同じ課題で描かせるかは、それは保育者が、時期とその子の成長度合いから判断するものです。ですから「自由」と「一斉」は、あくまでもその時々の保育の形態にすぎないと、私は思っています。
早川先生●「自由保育」「一斉保育」という二者択一のようなカテゴライズで幼稚園を評価されるのは、教師の立場からすると、ちょっと困ってしまいますね。日出学園幼稚園も保護者の方々からみれば「自由保育の幼稚園」と捉えているのでしょうが、私自身は「遊びを主体とした保育をしていますと」という言い方をしてきました。お子さん一人ずつを大切にしながら、必要に応じた保育形態をとっているというのが日出学園幼稚園であって、その中で遊びの分量が高いとうことはいえますね。

小学校入学までの就学準備としての目標設定

また世間全般に、保護者の方々期待として幼稚園の段階でもある程度の読み書きや数の計算などを教えて欲しいという、小学校入学に向けた「就学準備」に対する期待も大きいと聞きますが、日出学園幼稚園の場合はどういった対応をされているのでしょうか?
鎌田先生●そうした保護者の方々の要望というのは、一般的には小学校でのお受験などを考えていらっしゃる保護者の方々からのものでしょうが、日出学園幼稚園に入園されるお子さんの場合は、多くが内進生として日出学園小学校に入学されるお子さんたちで、保護者の方々は小学校へのお受験のことなどを気にせずに、幼稚園に任せて安心して通わせているというのが私の印象です。
宇賀神先生●ことさら就学準備ということではないにしろ、小学校に上がった時に、45分間集中して授業を受けて楽しい授業だった、知識が得られてよかったと思えるようになってほしいということを、私たち幼稚園教員は保育目標のひとつにしています。年少のうちから「人のお話を聞くって楽しいことだよね、そのお話を聞いて何かすることって楽しいね」ということを知ってもらうよう、3年間の中で保育指導しています。
斎藤先生幼稚園に入学するということは、3年間なり2年間通った先には、必ずどこの小学校に進むという現実があり、小学校入学までの育ちを考えて幼稚園で保育をするということは当然のことです。卒園して小学校に入って4月にその子が小学校の生活に馴染めないなんということは、その子にとって非常にマイナスです。就学準備というのは国語の先取り教育をするとか、算数を教えるとかではなくて、「45分間の授業に集中して取り組めるようにする」という目標に沿って保育をするというのが、子どもたちが幼稚園に入園した時からの取り組みです。
その中で、お友だちと遊んであの時楽しかったとか楽しくなかったといった時に、保育者はどう見守り支援するのかというのが、日々の保育になるわけです。そうした保育が「将来の学習につながりますよ」というのは、保護者の方々にはっきりと伝えます。ですので、年中さんになって生活が少しだらけてきた時には、「こういう指導をしますが、それは小学校やさらに上の学校に行った時にできないと困りますから」と、きちんと保護者の皆様にはお話してご理解いただいて指導するようにしています。
早川先生●内部進学したお子さんについては、1年生の1学期に小学校と幼稚園で情報交換をする機会はあります。その時に、幼稚園サイドからは園生活の中でどういう風に育ってきたかということをお伝えし、その子がスムーズに小学校生活に馴染んでいけるよう、日出学園幼稚園と小学校は連携して取り組んでいます。

園児一人ひとりとていねいに向き合う「遊びを主体にした保育」

先ほどの早川先生にコメントにありました「遊びを主体とした保育」は日出学園幼稚園の保育の特色だと思います。その遊びを支援し補助する先生たちの関わり方を教えてください。
鍜治園長●子どもの遊び方は、年齢によって違います。年少の幼稚園に入りたての頃は一人で遊んでいるか、先生の側にいるかですが、徐々に自分のやりたい遊びが見つかってくるという段階が年少の1学期です。そこで大事なことは、教師や他の子に強制されるのではなくて、自らやりたい遊びを繰り返すということ。繰り返して余裕が出てくるとクリエイティブなことを生むようになり、その遊びを発展させていくことになります。
 そういう意味でも、日出学園の「遊びを主体とした保育」では、教師がその子一人ひとりの育ちのペースを裁量してあげながら個々に保育ができるのです。
池辺先生●例えば、年少さんといっても生まれた月齢や発達の度合いで差が随分あります。遊びの仕方も楽しみ具合も違いますので、「年少は」と一括りにはできません。何がその子に合うか、手を替え品を替えながら、その子が夢中になれるような遊びを見つけているという最中です。
鎌田先生●そうですね。特に年少さんはまず自分で楽しいことを見つけるというのが大事ですので、年少のうちは好きなことを見つけてそれをやらせています。
宇賀神●そうしているうちにお友だちはできてきます。でも一緒に遊べるかどうかはまた別の話(笑)。お気に入りの子が出てくるようになるのは年少の最後のほうで、そういう子たちがグループになって遊べるようになるのが年中になってからですね。ですから、ケンカなどの場面も生まれてきます。
早川先生●一斉に何かを教えてしまうのは簡単かもしれませんが、担任の先生が1クラス子どもを受け持つとすれば、「この子は今、こうしているよね」ということを頭に入れながら、「この子たちは今のまま見守れば大丈夫」「でも、この子は今ちょっと関わりを多くしたほうがいい」というように、1日の中での「今は」という場面もありますし、そのお子さんの育つ状況の中で、「この時期だから要注意」ということもあります。
そうした時に、一人ひとりに具体的にどういう言葉を投げかけるか、担任の先生はそうした点を漏らすことがないようよう、注意深く園児一人ひとりを見ています。
斎藤先生●遊びによっては下の年代では体力的に無理そうなものもあり、担任から止められていて年中になったら「やってみよう!」と手ぐすね引いて待っているような場合もあります。園児が興味を持ったからなんでもやらせてみようではなくて、そこには先生の裁量が働くとこになり「お兄さん、お姉さんになったらやってみようね」と、抑えることもありますし、方向転化させることもあります。
鍜治園長●幼児教育はオーダーメイドです。集団で一括りの保育はできません。一人ひとりに向き合ってていねいに保育をしていこうとすると、子どもたちが自由に遊べる時間が長いほうがいいのです。一人ひとりに目標があって、一人ひとり育っていく過程が違いますので、無理やり一緒に保育をするのではなく、一人ひとりを見ていこうと思うと、裁量が効くようにしていかないときめ細やかな保育はできません。
 そういう視点から保育するのが、日出学園幼稚園の自由保育であり、「遊びを主体とした保育」なのです。
斎藤先生●教師は子どもたちが自由に遊んでいる中で必要なことがあれば助けますし、見守っていたほうがいいときは黙って観察します。下手に教師が挟むと、そこで逆効果、なんていうこともあります。また、一つの遊びをあるグループがしていて、それを他の子たちが見ていて、最初の子たちが遊びを終えると、周りで見ていた子たちが同じ道具を使って同じように遊び始めることもあります。それは同年代の他の子たちであったり、下の年代の子ども同士であったり、上の子と下の子が混ざってのこともあります。そうやって一つの遊びが繋がっていく、広がっていくということはあります。
鎌田先生●年長さんがやっている鬼ごっこに、年中さんが面白そうだなと思って入ってくることもありますし、年長さんが鉄棒で遊んでいるのを年中さんが毎日見ていて、なかなか「入れて」と言い出せなかった時に、隙を見つけて「入れて!」と言って一緒にやるようになり、年長も「少しならいいよ」と、年長なりの優しさを見せて仲間入りさせてあげたりすることもあります。その時、子どもたちだけでやったら、危なそうだなという時は教師が入って「ここのところは気をつけるようにね」と子どもたちに注意を伝えることもありますし、自分たちが考えて何かをやろうとしている時には、先回りして声をかけないようにしています。そのあたりの教師の介入の仕方は難しいですね。私もいま勉強中といったところです。
早川先生●子どもたち自身が互いに関り合う中で、自発的に相手のことを考えたり、思いやりのある行動ができるようになるまでには、それ以前の小さいうちから「お姉さんたち、素敵だね」という経験があり、大きい子たちには「いま小さい子たちが通るから、ちょっと避けてあげようよ」というように、教師が日々の何気ないワンシーンの中で相手のことを考えられるような保育の積み重ねがあるから、子どもたち同士の遊びの中でも、相手のことを考えた言葉が自然に生まれるようになるわけです。ただ「小さい子には優しくしようね」という言葉だけで教え込んでいくのではなく、生活の中で細かな色んな働きかけをしながら先生たちの保育が自然なうちに子どもたちの心に入っていくようにと思って、日出学園の先生たちは日々保育に携わっていると思います。
鍜治園長●子ども同士の遊び方にしろ、それに伴うルールは素朴なものです。鬼ごっこするなら、「逃げる範囲はここまでね」とか「あそこに隠れたらいけない」という程度。そうした遊び方にしろ、ルールの決め方にしても、お兄さん、お姉さんのやり方を見ながら学んで共通理解していきます。ですので、子どもたち自身が遊び方やルールをどんどん進化させて発展させていくというところまでは行きませんね。

時代や環境が変わっても、本質は変わらない「ごっこ遊び」

その遊びですが、子どもたちを取り巻く環境は時代とともに変化しています。今であればスマホやタブレットをタップしながら、ゲームや動画を観るなんていうのも当たり前の時代になりました。そうした時代や環境の変化で、子どもの遊びも変質してきているのでしょうか?
早川先生●例えば、子どもたちの遊びにスマホが出てきたり、電話をかける仕草でもダイヤルを回さなくてプッシュする真似をするなんて、大人の私たちが見ればびっくりするわけですが、どんな年代でも子どもの頃にすごした環境が子どもたちのごっこ遊びに投影されるわけで、遊びのシチュエーションはその時代に合わせて変化していますが、それは発展というレベルではありませんね。
斎藤先生●ごっこ遊びはその子自身が体験したこと、見たことをそのまま再現しているのであって、その再現の仕方がスマホなのか、ダイヤル式固定電話なのか、その子の経験によります。今の時代は、電車ごっこをしても切符は出てきません(笑)。
鍜治園長●そうですね。日常生活で体験することがごっこ遊びに反映されるわけですが、それを楽しむ感性というのは、昔もいまも同じで、遊びそのものが変質してきているということではありません。
宇賀神先生●砂場でシャベルを持って型に入れてケーキを作る役のお母さんになってなんていうのは、全然変わりません。また、幼稚園の中には今風の時代のものはなく、昔ながらのスコップやバケツといったようなものだけですので、遊びの仕方は昔と同じです。葉っぱでも棒切れでも、子どもたちはどんなものでもそれをお皿に見立てたりお箸にしたりして遊んでいます。
日出学園幼稚園は和式トイレであったり、ポンプで汲み上げる井戸であったり、ひねって水が出る蛇口だとか、昔風なものがありますが、それって子どもたちの経験値を上げることに役立っていますか?
斎藤先生●年少で入った子どもたちは4月の最初、蛇口をひねると水が出るなんて、ほとんどの子が知りません。トイレも家のトイレは自動的に流れるトイレのご家庭もありますから、幼稚園で流すことも知らなかったりします。ですから、幼稚園ではそこから教えることになります。家に入れば自然に電気が点き、手をかざせば自動的に蛇口からミスが出る、トイレも用を足せば自然に流れる。そういう家庭環境の中で生活をしてきた子どもは、最初戸惑うわけです。でもそういう戸惑いは、子どもたちにとっての通過点であり、捻らなければ水の出ない蛇口や自分で流さなければいけないトイレに対応できないような子どもになってもらいたくないので、この新校舎を建てる時にも、あえて便利な設備や環境にしなかったわけです。
鍜治園長●不便なことのほうが、保育環境としてはいいのです。
早川先生●コストのことを考えると、手をかざすと水が出て、離すと自動的に水が止まるほうがコストダウンにつながります。蛇口だと閉め忘れると水は出っ放しで、水道代のコストはかかってしまうわけです。でも、そこは水道料というコストよりもあえて昔のスタイルにこだわるわけです。
宇賀神先生●ですから、私たち教師は水を止めて歩いています(笑)
早川先生●幼児期は体の動きを含めて育っていくということが大事ですから、指先でひねると水が出たり止まったりするということを、身体的な経験値を持って知っていくわけです。
鍜治園長●幼児期はアナログ思考の経験値を積ませることが大事であって、アナログ的な経験値が少ない人は、デジタルなものに移行していくことは難しいのです。今後、デジタル社会に生きていく、ITのようなものを作っていく人になっていくには、アナログ思考で水を出す・止めるという仕組みを理解しなければ、デジタル技術による自動化した蛇口を作ることはできませんよね。ですから、幼稚園もあえてアナログ的な設備であったり遊具であったりするわけです。
斎藤先生●そういう設備を使って遊ぶことが、そのままお勉強につながるのです。例えば、数字を数えられるようにするには、教えればすぐに1から10までそらんじて言えるようになります。でも、その10がどういう成り立ちでできているかという根底的なものを把握できていなければ算数は学べませんよね。おままごとで10個のクッキーを5人で分けるにはどうすれば公平に分けられるかということを考えさせるのが、幼稚園時代の学びであって、それを遊びの中で知って行くことで、小学校に上がったときにスムーズに算数のお勉強が理解しやすくなることにつながるのです。そういうことを系統立てて考えて保育していくのが幼稚園教師の仕事なのです。

園庭の砂の種類によって子どもは遊びを変える?

砂の園庭や土管のトンネルも、幼稚園が新しく建て替えられても変わらない伝統的な環境ですね。
早川先生●平成21年、今から10年前に菅野駅に隣接していた旧園舎が移転して新園舎になった時、これだけの広さを持った環境の幼稚園で、砂場の園庭をそのままに受け継いだということは幸いでした。でも、ひとつだけ惜しかったのは2階建てではないということ。新園舎は広い敷地であったために全部1階建に集約できましたが、2階建でないために階段がありません。子どもの育ちは体すべてで育っていくものですから、階段のあるような生活はこの幼稚園の中ではできません。普段の生活の中で、戸建てやマンションに住んでいても、部屋によっては1階の部屋だけの生活だったり、階段を使わずにエレベーターで移動するだけの生活だったりします。
ですから、幼稚園時代に階段の上り下りを経験していないと、階段をスムーズに上り下りできない状態で入学することになってしまうわけです。他の幼稚園で階段をいつも上り下りしている子たちと、最初だけかもしれませんが、そこで経験値の差が出てきてしまうわけです。体の平衡感覚ですとか、バランス取るということに差がつくわけです。
階段は遊具では補えないものなのでしょうか?
宇賀神先生●遊具でも階段はありません。園庭には梯子のジャングルジムはありますが、その上り下りには当然手で捕まることが必要ですが、階段は足だけで上り下りすることになり、足だけで体のバランスを整えるということにつながります。
斎藤先生●前の園舎の時代でも保育室は全部1階で、2階には会議室があるという設計で、普段は子どもたちは1階だけで過ごしていたのですが、夏に行われる山の幼稚園に行く前にはリュックを背負わせて階段の上り下りをやりました。そうすることで、この子は足元がおぼつかないな、この子は大丈夫だなということが把握できました。でも、今は小学校に上がると駅の階段の上り下りもそうですし、小学校の校舎内の移動でも階段を使いますから、そういう階段のある生活に慣れていない子どもを見ていると、危なっかしくてハラハラします。
鍛治園長●平屋の幼稚園というのは、本来はそれが基本的な設計で、万が一、何かあった時にすぐに外に飛び出せるという安全面の確保を優先するものなのです。同様に園庭の起伏も大事で、築山を作るとか土管のようなくぐるところを造るというのは幼稚園の園庭では当たり前のことです。砂の園庭は安全面への配慮もありますが、砂地を走り回るということは体力が付きます。また砂の手触りとか気温や水分が含まれた時の砂の変化を体験することで、体の皮膚感覚を通じて脳が発達する部分もあるので、それに触れるということが大事なります。砂遊びは素朴な遊びですが、すごく大事な遊びです。
早川先生●もちろん裸足で園庭を走り回ってもいいですし、砂だったらそこに絵を描いて失敗してもやり直しがが簡単ですから、何回も失敗しながら自分にとっての「いい加減」を自分で発見していくためには、もってこいの素材なんです。砂でお団子を作るにしても、このくらいの湿り気なないとかたまらないなんていう発見も、砂だからできるものなのです。
鍜治園長●園庭の場所によっても砂の状態が違いますから、年長さんあたりにありますと、遊びよって砂を使い分けています(笑)
斎藤先生●深く掘ったほうが昔の砂が出てくるので、お団子が作りやすいですね。表面の砂は川砂ですからサラサラでお団子はできない。そんな時、子どもたちは「先生、お水をまいて!」って言ってきますし、水をまいただけの砂と、前の晩に雨が降って砂の深い部分まで濡れていて形が作りやすい砂の違いを、子どもたちは感覚的に把握できています。ですから、翌日の砂遊びの中身も違ってきます。湿り気がある時はお団子を作ったりしますが、何日も乾燥したりしている時は、サラサラの砂をトヨを使って流すような遊びに変えたり。そういうのを砂に触れながら経験値として覚えていくわけです。私たち大人よりよっぽど園庭の砂のことを、子どもたちはよく知っていますよ(笑)。
鍜治園長●お砂もそうですし、大きな積み木の遊具もそうですが、素材としてあるだけで、何も形がないものを型に入れて変化をつけたり、重ねたり並べたりして何かをクリエイトするということが子どもの発育では大事なことなんです。何もないところから遊べるというのが、子どもの遊びの到達点です。イメージする力、見立てる力というのが養われるのです。
池辺先生●一方で、年少で入ってきたばかりの春の時期は、家での遊びの延長でしかまだ遊べませんから、いろいろのおもちゃをたくさん並べて、子どもたちには遊ばせています。ひとつのおもちゃで飽きてしまっても、次から次へと遊べるようにしています。
宇賀神先生●それも、前の年はこれで遊んでくれたから今年もと思って用意しても、全然反応しないなんていうこともあり、ベテランの先生といえども、これまでの経験則が今年の子どもたちに当てはまるかどうかは何とも言えません。やってみて、子どもたちの反応を見ながら探っていくしかありませんね。
鎌田先生●幼稚園の先生は、たくさんの引き出しを持たないと、子どもの個性や発育の変化に合わせた支援はできません。私はまだまだベテランの域にも達しているわけではないので、試行錯誤の繰り返し。ベテランの先生からのアドバイスをいただきますし、その先生のやり方を盗んで試しながら、日々勉強しているという状態ですね。
早川先生●普段幼稚園では、担任だけでなく他のクラスの先生がよそのクラスの園児のことで気になった点があれば、すぐにそれを皆で共有するようにしていて、そこが昔から「日出学園幼稚園は、幼稚園の先生が皆で子どもたちを育てている」と言われる所以で、長年培われてきた日出学園幼稚園の教師の体質だと思います。
斎藤先生●昔は1クラス40人以上もいる時代もありましたが、保育の仕方も昔と今では比べようがありません。でも、私が教師として日出学園幼稚園に入った時から、幼稚園全体で子どもを見守るという校風ではありましたね。
早川先生●何かあった時でも、一人で抱え込まなければいいという体制でしたね。若い先生のことを年配の先生が手助けをしてくださって、一人でどうこうしなくてはいけない、という感じではありませんでしたね。
宇賀神先生●私が日出学園幼稚園に赴任した時は前の園舎の時代で、クラスで何かやるというより、学年で何かやるということで、一人で園児を見ているという感じではありませんでした。クラスの子が目の届かない所にいても「あそこで、こんなことをしているよ」と、他の先生が報告してくださったりして、気がついたことは皆で伝え合うということができていましたね。
斎藤先生●先生はクラス・学年問わず、園児の名前と顔は全員知っています。園児も遊んでいる時に先生に何かしてもらいたいときに、そばにいる先生に話しかけてきます。その時、教師は「これは担任に報告してやってもらったほうがいいな」という時には担任に伝えますし、その場で注意したほうがいいような場面の時には、担任かどうかは関係なく注意します。また、自分の手が回らない時には「自分は今手一杯で手薄になりそうなので、ちょっと気をつけて見ていただけたらと思います」と言ったことを、園児が登園する前の朝の会などで話し合ったりします。

外部での保育研修で、保育での判断に幅と深みを

最後に、鍜治園長は教員の指導力向上のための研修にも力を入れており、他の幼稚園の保育を見に行く研修を取り入れていらっしゃいます。」
鍜治園長●自分の保育をうまくいくようにするためには、人の保育を参考するということがとても重要です。でも幼稚園内だけですと、同じような保育の仕方になってしまいますので、世の中にはいろいろな保育がたくさんありますから、新鮮な目で他の保育現場を見て、自分の立ち位置を再確認することも大切です。
ありがたいことに、日出学園幼稚園は子どもたちにとっても教員にとっても、恵まれている園です。保護者の方々はとても協力的で、「お子様がこういう活動をするので、これを持たせてください」とお願いすると、皆さんきちんとその通りにしてくださいますし、「お箸を使ってお弁当を食べられるようにしたいので、最初はお箸でつかみやすいようにおにぎりでも小さくしてお弁当に詰めてください」とお願いすると、小さいおにぎりを作るのは大変なのに、それをお母様方はきちんとやってきてくださいます。でも、他の園では保護者の負担になるようなことをやらなかったり、そもそもお弁当ではなく給食であったりして、幼稚園によって指導の仕方は色々違ってきます。そうした保育環境の違う幼稚園の現状を視察して、色々工夫されている点を参考にするというのが、保育の向上につながると思います。
保育は教師自身が自分に問いかけて内省し、それを子どもに返して、今子どもにどう声をかけるべきなのか、そうしないほうがいいのか、常に反芻しながら保育を行っています。それは、どこの幼稚園の先生も同様です。違うのは、園の置かれた環境などによる判断の基準です。ここで声をかけるべきか、そこで声をかけるのでは遅いのかとか。そういう判断の基準の違いが、どう子どもたちの反応として現れるのかを見ることが勉強になり、自分の保育に厚みが持てるようになるのです。同じ園内だけにいると同じ判断基準になりますので、自分の幅を広げる意味でもいろいろの園の保育を見るべきだと思います。